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「真昼の悪魔」 遠藤 周作

無感動で乾いた心を持つ女は、良心の呵責を得たいがために「悪」を行なう。その行為に気が付いた若者が2人。点滴のミス、薬のすり替え、一見事故のように見える出来事に、4人の女医の誰かが影で暗躍している・・・

この「無感動で乾いた心を持つ」女医が主人公ということになるが、面白いのは、読者には主人公が4人のうち誰なのかわからないという点だ。この女医、いわゆる犯人側の目線で描かれるパートは 「彼女」「女医」として書かれ、名前は明かされない。そして犯人側でないパートでは女医たちは名前で書かれるが、誰が「彼女」なのかはわからない。

最終的に「犯人」が誰なのかは明かされるが、そこはたいして重要ではない。「誰が犯人でもいい」し、「誰もが犯人でありうる」のだ。そういう意味で、ミステリータッチではあるが推理小説の類ではまったくない。(わたしが「犯人」という言葉にカッコをつけているのも、これが推理小説における犯人とはちょっと違うものだからである)

誰かわからないように書いているのは、彼女が特別なのではなく、現代のどこにでもいる存在であること、そして傍目にはまったくそうは見えないことを示唆するためもあるだろう。

難波が精神科に入れられてしまう部分はとても恐ろしい。ガルシア・マルケスの「電話をかけに来ただけなの」という短編を思い出した。これは間違いで精神病院に入れられてしまったがために一生そこから出られなくなってしまうという話である。精神科に入れられたが最後、その言葉は狂人のものとみなされ何を言っても取り合ってもらえないのだ。

遠藤作品らしく、神父が登場する。女医と神父の会話は印象的だ。たった一人の人体実験によって、たくさんの患者が助かることは善か。彼女の「悪」によって、結果的には何人もの人間が助かっている――

女医が俗物のボンボンである大塚に言った一言も印象的だった。わたしは医者ではないが、もし医者だったら、こんな風に思わない自信はない。

ヒューマニズム。そんなものじゃなくて、誰かの人生を左右できたのが、まあ、嬉しいんです。

彼女に全面的に共感するというわけではないが、しかしその実彼女の気持ちがわからないわけでもない。彼女は極端だが、特殊ではない。「神を失った現代人」である我々には、少なからず彼女と同じ部分があるだろう。

悪魔は、自分が悪魔だと訴えるような姿を少しも持っていない。神父は言…

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